DAY 199 入院

本来ならば、私は10日前の9月2日、第二回全統記述模試を受験する予定だった。

しかし、その運命は大きく狂うこととなったのだった。

 

始まりは9月1日の朝だった。

ふと、胃が痛む。
前日にちょっと古め(しかし、賞味期限は切れていない)カレーを食べていたので、胃もたれでもしたのだろうと胃薬をのんだ。

明日は模試だ。胃痛ぐらいで休むわけにはいかない。
模試を休んでどうなったか、自分は去年によく思い知っているはずだ。

しかし、胃痛は胃薬を飲んでも治らなかった。
それどころか、ひどくなっているとすら感じる。

この時点で病院の受診を考えたが、時刻はすでに午後10時で、あまり気乗りしなかった。
寝れば治るだろうと考え、とりあえずベッドに入るも、痛みはさらに増していく。

なぜか痛かったはずの胃はすでに痛くなく、痛みは腸に移動していた。
医学的知識に乏しい私はこれがいったいなんなのか分からず、寝床で困惑していた。

このとき痛みはもはや耐えられないレベルにまで大きくなっており、もはや自分で歩くのすら困難な状態となっていた。

時刻は午前2時、意識が遠のき手が痺れる自身の体の異常を目の当たりにし、もはやこれはただ事ではないとようやく認識し、病院に搬送されることとなった。

あまりにも痛かったことから診断も難航し、CTスキャンをとって初めてその病名が明らかとなった。

急性虫垂炎

いわゆる盲腸と呼ばれる病気であり、CTスキャンによれば1cmの糞石が虫垂に詰まり大きく腫れ、それが痛みとなったようだった。

もはや虫垂の腫れはとんでもないことになっていたようで、緊急手術の準備が一気に進められた。
病院に運ばれたのが午前2時で、手術が開始されたのは午前7時半だったことを考えると、かなり予断を許さない状況となっていたことだろう。

手術室はテレビでみるものと全く同じで、あのやけに大きなライトに、真ん中に鎮座する手術台。
動けない患者であったならばドラマで見るように「いち、に、さん!」と体が移されるのだろうが、まだ動ける私は、自らのそのそと手術台に赴いた。

もっとも印象に残っているのが、手術室で流れていたクラシック曲である。
患者をリラックスさせるためのものである、というのはどこかで聞いたことがあったのだが、私にはそれが葬送曲に聞こえてならなかった。
当時の私の漠然とした不安が現れていたのだろうか。

ともかく、手術は無事終了し、目が覚めたときにはもといた病院のベッドに戻ってきていた。
体験談などを見ると、まだ手術台に乗っている段階で起きるということもあったようなのだが、私の場合は深夜に受診し早朝に手術という段階を踏んだためか、麻酔が切れてからもぐっすりと眠っていたようだ。

手術後、複数日かけて段階的に医療器具が体から外され、ドレーンが外れたのがおとといの話だった。
ドレーンが体から外れた時点で退院が決まり、そして退院したのが今日の10時ごろだった。

肉体的な痛みよりも、実際は勉強のための時間が失われ、しかも模試を受けるチャンスを一度失ったことが一番痛かったが、こうもなってしまっては仕方がない。
試験本番に被らなかったことを最上の幸福として、これから残り数ヶ月勉強を続けていきたいと思う。